宇都宮さん講演概要
5/28 緑の党地域代表協議会にて 供託金廃止キャンペーン
文京区民センター
「自由な選挙への第一歩!
選挙供託金違憲訴訟の争点と展望」
宇都宮健児さん(違憲訴訟・弁護団長)
どこが違憲?!憲法条文の確認
[憲法条文:前文]
日本国憲法の前文では、最初の書き出しが、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」すると書かれています。それで、この文章の最後には「ここに主権が国民に存することを宣言し、ここに憲法を確定する」という文章で終わっています。
この前文は「国民主権を謳っている」っていうことと、主権の行使は「議会制民主主義を通じて」実現していくということを、高らかに謳っている。
国民主権の行使を、選挙を通じてやるということは、非常に重要なことなのに、リベラルはこの点を充分考えてこれなかったんじゃないかと、私は感想を持ってます。
また、議会制民主主義の、そのルールを決めるのは「公職選挙法」で、実は1925年「治安維持法」と同時に制定された「普通選挙法」にルーツを持っていまして、大変に非民主的な選挙法です。本当はこの民主化が必要だったんですけど、この70年間リベラルと言われる人たちは、その点についても、まったく不十分だったと思っております。
[憲法条文;15条]
憲法の15条の1項、15条というのは、選挙権と被選挙権、被選挙権は「立候補の自由」を保障していて、選挙権も被選挙権も、重要な基本的人権です。選挙権の自由な行使は、自分の投票する候補者がいないと、行使が不自由になるわけですし、立候補の自由は非常に重要です。
[憲法条文;44条]
供託金違憲訴訟でとりわけ重要な条文は憲法44条です。憲法44条ではこういう規定になっています。
「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。ただし、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産または収入によって差別してはならない」。
この但し書き以下は、憲法14条「法の下の平等」と重複しますが、「門地」までで、44条は、門地に加えて「教育、財産または収入によって差別してはならない」と、新たな文言が追加されています。
選挙権・被選挙権については、教育や財産というものによって、差別してはならないということが謳われているのです。
私の思う健全な民主主義
健全な議会制民主主義を発展させ
ることが非常に重要ですが、私は
「多様な国民の声が政治に反映さ
れるような制度」だろうと思いま
す。
多様な声が反映されない、一部の
国民の声しか反映されないような
議会というのは、充分な議会制民
主主義の制度とは言えないと思い
ます。
[増える貧困層]
今の日本の社会を見ますと、非常に貧困と格差が拡がり、立候補しようとしても、高額な供託金が用意できない、立候補できない人が増えています。
直近の政府の貧困率の調査では、国民全体の貧困率は16.1%、子どもの貧困率は16.3%、ひとり親家庭54.6%です。貧困率の調査というのは、日本国民を収入の高い人から低い人に、順番に並べていき、真ん中の人の収入の、1/2以下の割合を貧困率として表しています。
収入の中から税金や社会保険料を除いた、可処分所得で、中央値の年収は244万円です。だから貧困ラインというのは、年収122万になります。122万未満の人が、16.1%、6人に1人、子どもは16.3%、ひとり親家庭は54.6%にもなり、2世帯に1世帯が貧困ライン以下の生活なのです。年122万未満の人たちにとって、国政選挙に出ようと思って小選挙区300万、比例区600万の供託金を用意するというのは、非常に困難なわけですよね。
[非正規労働者]
非正規労働者、働く貧困層の増加が今の貧困問題の大きな要因ですが、日本では、全労働者の約4割、2000万人が非正規労働者になっています。その結果、年収200万円なんていうと、あまり貯金もできない、こういう人が年収の1.5倍の300万の供託金、それから3倍の供託金を用意するというのは大変な状況です。
昨年の都知事選に、非正規労働者として働いていた方が、立候補して落選しました。この方も供託金違憲訴訟の傍聴に来られていますけど、その300万の大半が借金です。今、返さなきゃいけないので、生活が大変苦しくなって、悲鳴を上げられています。
また貯蓄が全くない世帯は30.9%、過去最高レベルで3世帯に1世帯は貯蓄がないです。生活保護利用者は216万人位になり、ギリギリの生活です。なぜ、こういう人たちが国会に代表者を送れないのか、これはおかしいと思わなきゃいけないです。その人たちがまったく参加しないまま、生活保護の改案が行なわれる。これはまったくおかしいことですよね。
[非民主的な普通選挙法]
日本の高い供託金制度のルーツは、1925年にできた、いわゆる「普通選挙法」から始まっていて、この普通選挙法で初めて、税金を払っていない人も、選挙権の行使ができるようにしたと思っていました。ところが、普通選挙法で立候補するのには、当時のお金で2000円です。当時、初めて公務員になった人の年収が900円位ですから、公務員の初年度の年俸の2倍を超える供託金を要求していたわけです。
そして、この選挙法の中で、「戸別訪問の禁止」や「ビラの配布の制限」などが行なわれました。当時、すでに「選挙権は制限選挙じゃなくなって普通選挙になったけど、被選挙権は制限選挙じゃないか」という指摘が、国会議論の中でなされていたようです。
どうしてこんなに高額なの?!国の言う供託金が高い理由
なぜこうも高い供託金を課すのかについて、立法の主旨は
「泡沫候補や売名行為者を排除して、選挙の混乱を防ぎ、
選挙を誠実、厳正に実施するため」とされています。
戦後のいろんな供託金をめぐる訴訟は、何件かあって、
必ず国側はこの説明をしています。しかしこれは問題で、
あらかじめ国が排除していいのか、国民主権の立場では、
有権者に選ばせるべきじゃないかとの考え方もあるのに、
未だに同じ理由を繰り返しています。
売名行為者を排除すると言っても、供託金没収くらい屁と
も思わない資産家にとっては、何回も売名行為ができるわ
けで、説得力がまったく無いのです。
[本当の目的]
それで一部の学者は、本当の目的は、当時の無産政党の議会進出を抑制する、ここに本質的な狙いがあったんじゃないかと言われています。そうであれば、こういう非民主的な選挙法は、日本国憲法の交付や施行と同時に、民主化されるべきだったのです。ところが、充分な民主化が図れないまま、戦前、治安維持法と同時に制定された選挙法が、未だに続いている。
不自由な制限のある公職選挙法の問題について、充分リベラルな側が検討して、運動を起こしてこれなかったということは、日本の民主主義の未成熟というのか、それを表していると思います。
[高額な供託金が引き起こしたこと]
高額な供託金制度がどういう結果は、世襲議員の増加に現れました。3割が世襲議員です。能力があろうとなかろうと、世襲議員が、つまり政治家が家業になってしまっている。
それから民主主義の劣化というのは、多様な国民の声が反映しづらい議会制度になっていった。一方で既成政党や既成政治家には有利になっています。新しく市民や市民政党が国会に出て行くのを、抑制するようなことになっているのです。リベラルも既成政党化していますから、本当にこのところを崩そうとしない、という問題がある。
[諸外国の供託金制度]
アメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、G7の中の4カ国は供託金ゼロになっています。それからもともと、日本の供託金制度というのはイギリスを参考にして導入したと言われていますけど、イギリスは現在8万円くらい。カナダ10万円くらい。G7の中では日本は突出して高いわけですね。スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、チリ、ポルトガル、スイス、ルクセンブルグ等々、ゼロの国が非常に多いということが判ってきています。ロシアもそうですね。
憲法学者もこの問題については、ほとんど関心を持たず、ごく稀な人が、選挙権・被選挙権の問題を研究しているのが現状で、諸外国がどうなっているか、憲法の教科書にもなく、国会図書館にも資料がない。福島みずほ議員の秘書を通じて、今、OECD全体の制度を調査中です。
いよいよ山場、訴訟の争点と見通し
[憲法47条 国の裁量]
国側は「泡沫候補と売名行為者を排除して、選挙の混乱を防いで、厳正誠実にするためである」とい
うことと同時に、過去のケース、一票の格差問題についても、憲法47条を出してきます。
「選挙に関する事項は法律でこれを定める」。つまり、国会の裁量行為、国に任されているというの
ですね。考えてみれば、その国会で、法律を決めるのは国会議員ですね。既成政党とか既成政治家、
自分の不利になることは、決めるはずがないです。
[人権保障の優位性]
だからこそ「基本的人権」の重要性というのは、そのような「法律でも破れないところを守っていく」、これが「人権保障」の意味です。よく「国民の自由や人権を守るために、国家権力を縛るのが立憲主義だ」という風に解釈をされてますけど、立憲主義のもう一つの意味は「多数の専制から少数者の人権を守る」という意味があるのです。
例えば、最近まで日本の民法では、結婚している男女の間に生まれた子どもと、結婚してない男女の間に生まれた子どもは、相続分が違いました。嫡出子と非嫡出子。婚外子は1/2だったのです。だけど、日本はとっくの昔に「子どもの権利条約」を批准しています。子どもの立場からすれば大変な差別で、国連から何回も勧告され、最高裁が重い腰を上げて憲法違反だという判断をして、その条項は無効になり国会も改正を迫られました。
それから知的障害者の女性が成人になって選挙券が送られてきて行使をしていたけど、「成年後見の申し立て」をしました。成年後見人がついて「被後見人」になった途端に選挙券が送られてこなくなったんですね。それは公職選挙法で、選挙権の行使ができない人の中に、「被後見人」が入ってたからです。その女性は、「憲法違反だ」と裁判を起こし、東京地裁が認め、国会がその文言を削除しました。被後見人も、選挙権の行使ができるようになりました。
法律は1/2で成立しますが、その時に、憲法で人権を守る保障規定がありますから、憲法違反となれば、法律は無効になってしまうわけです。つまり、それが、憲法の立憲主義の意味なんですね。少数者の人権を守る観点から言えば、この今の問題は、「国会の裁量行為」と言っても、立候補の自由や選挙権の基本権を侵害するような裁量までは許されていない。人権を保障する範囲でしか、選挙制度は作れない、というのが我々の主張で、訴訟の争点になると思います。
[私たちの運動]
訴訟の見通しですけど、ま、これは、私たちの運動にかかっているのですが、裁判官がこの問題がどれだけ重要と考えるか、です。
国政選挙の無効を訴えた裁判があるんですけど、当事者訴訟で「自分は供託金を収められなかったから、選挙に出られなかった。慰謝料として1億円を要求する」という裁判で、簡単に負けてしまいました。おそらく皆さん方も知らなかったでしょう。つまり裁判所に、みんなが関心を持って注目していることを知らしめないと、ちゃんとした判断をしない。
この選挙供託金違憲裁判は、最初小さい法廷で傍聴人が全員入りきれず、大きな法廷に変えてもらったところ、今度は一番大きい法廷で半分くらいしか傍聴席が埋まらなかった。そして前回の法廷は98席ちょうど全部埋まり、しかも一人車椅子の方だったので、その人も入れたら99人。奇跡的に傍聴席が全部埋まりましたが、裁判所にプレッシャーをかけて、これは非常に重要な問題だ、という問題意識を持たせるような取り組み方が重要です。
[平成の自由民権運動]
それから、やはり公職選挙は、裁判闘争だけではなく、一般の市民運動、公職選挙法を民主化するような市民運動を拡げ、これと連携していくことが非常に重要かなと思っています。
戦前、大正デモクラシーの後、自由民権運動っていうのが拡がりましたよね。その一つのスローガンが、普通選挙法の実施でした。日本の民主主義の発展のために、この選挙供託金問題は「平成の自由民権運動」と捉えて、もっともっと大きな運動にしていくこと。
憲法の条文や学説、判例、諸外国の例を見れば、圧倒的に我々の主張が説得力を持っているし、泡沫候補、売名行為を排除するとの説明、法の趣旨など、まったく説得力を持たないでしょう。
そして最後に裁判所、日本の裁判官というのは、世間を知らない人が多いですので、世間を知らない裁判官に、世間を知らしめる、そういう運動ができるかどうかにかかっていると思います。ぜひ「緑の党」のみなさんも、運動を拡げて、裁判に関心を持って、支援していただければと思います。
後半質疑
A;供託金は最初大正14年には1000円だったというお話でした。
現在の供託金、例えば比例区であれば600万、これはいつ決まったもので、
それは裏付けのある数字でしょうか。
宇都宮;今の供託金は戦後から少しずつ、ずっと上がってきている。
小選挙区で100万から200万になって、それから300万になってきてるということで、戦後一貫して、下がることはなくて、右肩上がりで上がってきている。300万になったのはかなり前です。
政府の説明は物価等ですが、物価と比べて正確に査定しているかというと、、算定根拠も極めて曖昧でそういう上げ方をしてきていると思います。
イギリス8万などですが、なぜ日本は売名行為を防ぐなどのために、300万円も必要なのか、他国と比べて何百倍、何十倍も必要かという、素朴な疑問が投げかけられていますけど、だいたいシャンシャンで終わってるのがこれまでの経過です。
B;宇都宮さんは各政党の供託金の考え方をご存知ですか。
宇都宮;選挙制度について考えているグループはある。1−2ヶ月前、選挙マルシェには、自民党から共産党まで、民進以外出てこられた。自民党は地方議員(女性)も供託金は高いと言っていました。みんなおかしいと思っていると思う。しかしこれは市民が言うべきことを国会議員に任せている。既得権者なので国会議員はなかなか議論にならない。政治権力の把握の問題と関連しているので、そういう方向にならないと思う。
475人/衆議員、過半数の当選者を出さなければ政治権力は取れないので、全選挙区で候補者を立てます。そうすると莫大な供託金が必要なのですが、それが用意できる政党しか、政治権力を奪取できないのです。そういう供託金を用意するために、財界から多額な献金をもらえるような政党しかダメだと。政治権力を維持するための問題とも絡みがあるということです。
平場で議論していくと必ずおかしいと気づく。G7だってみんなそう、フランスだって1995年まで2万円だったんですが、その2万円ですら問題になった、子れが民主主義社会です。日本は非民主的、戦前の天皇制国家とそう変わらないような選挙制度をとって、民主民主と言っていますけど、そこは民主主義になってないのですね。
C;供託金が公職選挙法で上がったのは、ポスターとか選挙のハガキ代と聞いたことがあるのだが、諸外国で低額のところのそういう費用は国が持つのか、それとも自分で持つのですか。
宇都宮;その辺の色々違い等を指摘する学者もいる。公営選挙だから、金がかかるからということで。ところが今回、国は公営選挙だからということは、一言も言ってきていません。同じ公営選挙ですけど、フランスもゼロになっているということで、公営選挙だから高い低いというのは諸外国を見ても説得力がなくなってきているので、只野教授(一橋大憲法学)の意見書を見ても、フランスの例を見ても、公営選挙だからという理由は通じませんよと書いています。
D;供託金は没収されると公庫にみんな入ると思う。国が選挙費用を負担しているわけではなくて、市町村とかと道府県が国政以外は全部負担していると思う。没収された供託金はちゃんと回ってくるのかがわからない。
宇都宮;そこまではわからない。ちなみに、供託金は知事選挙とか市長選挙は必要ですけど、町村議会は供託金はなかったと思う。町村議会はなくても混乱は起こってない。なくてもやれてるということ。供託金だけで選挙を運営しているわけではない。
E;ある憲法学者に供託金問題はどうですかと、質問したことがある。「そんなもん払えないでどうするんだ」と一喝されたが(笑)。「そんなもん払えない政治家は資格や能力がないんじゃないか」という考え方は、結構根強いと思う。一定得票取れば返ってくるんだから頑張りなさい!という理屈は、結構説得力があるという気がする。
宇都宮;だけど、その人が当選するかどうかを決めるのは、国の制度やそういうものではなくて、有権者が決めるべきです。返ってくるからと言っても、没収される人にとってはもう、二度と立ち上がれないような、先ほどの非正規のような人もいますし、そういうこと自体がおかしいですよね。
日本の政治学者というのは、お任せ民主主義はダメというけど、お任せ民主主義の対極になるのが、市民自ら立候補して、政治に参加することだ。政治に参加しようとした途端に、大変な障壁があることについて、日本の政治学者はほとんど語っていない。日本の政治学者というのは極めて抽象的な政治学者で、実践的に日本の社会を変えていくという点では、もう、半世紀ぐらい前の議論をやっている。
今!日本で民主主義を実践するとなった場合は、選挙制度をどう変えるか、選挙で社会を変えていく、選挙で政治を変えていく、というのが憲法の立場です。その選挙制度がどうなっているかというのは、政治学者も最も熱心に議論しなくちゃいけない。そういう議論にならないで、抽象的にお任せ民主主義だ、というのはここ何十年もやられてきている。そういうレベルで止まっているところが日本のリベラルの弱さ、だと思います。
F;過去の違憲訴訟と、今回の違い。新しい主張なりあるのか。
宇都宮;過去の裁判は一つは、神戸の裁判は地方議会選挙で立候補して県議会選挙で60万を没収され、返せという裁判だったと思う。憲法44条、先ほど挙げた規定は国会規定で、本当は自治体選挙にも類推適用すべきだと思いますが、その裁判は44条から議論された裁判例ではなかった。
先ほど話した1億円の慰謝料を求めた人は、国政選挙なんですけど、本人がやって本人が返り討ちにあっただけで、ほとんどメディアにも報道されないし、支援者もいなかった。憲法学者の意見も聞かれなかった。
私たちの訴訟で新たに加わった論点は、貧困とか格差が拡がっているということ。供託金を積めない人、立候補の自由、被選挙権を奪われた人たちが大量に存在する。この点をちゃんと考えた場合におかしいじゃないか、という主張を付け加えているということ。
それと諸外国のケースについて、徹底的に調査をしている。2000年に、お隣の韓国は憲法裁判所があり、韓国の3000万ウォン=300万円だったのが2000万ウォン=200万円に下がりました。この韓国の憲法裁判所の判決を、緑の党の福井の笠原先生がハングルを訳してくれて、それも証拠として出しました。その論議からすると、日本の供託金は違憲だという判断を出さざるを得ないような枠組みになっています。
G;一点はこの訴訟に対するメディアの反応。今政治学者の話題で言われたんですけれども、法学者も含めて、学者に限らず今回の訴訟の応援団みたいな人たちをどんどん作っていくのも大事かなと思うのですけど、その現状みたいなもの。それと今後のスケジュール、いつ頃判決が見通しておられるのか、3点。
宇都宮;学者のレベルですけど、触れてる人はいるが非常に貧困な状態。9条はあれだけ頑張れるのに、一番重要な国民主権の行使は、選挙制度を通じて国会の代表者を送って主権を行使するものだと、前文で書いているにもかかわらず、その制度についての民主化とか、議論というのはほとんど紹介されていない。この問題について、憲法学会で一番研究を重ねて指摘されている学者さんは 辻村みよ子さんですね。明治大学で教えておられます。
もう一人、青柳さんという方がいるのだが、残念なことに司法試験の審査員をやっていて、教え子と問題を起こして・・アメリカの憲法素性なんかも調べている。只野先生の意見書の中には、その青柳さんの研究も触れられています。
辻村さんから只野さんを紹介していただいた。只野さんは「市民に選挙を取り戻せ」という運動にも参加されているということで、意見書についても引き受けていただいた。
この運動は、学者に刺激を与える意味もあります。日本の学会は偏っていて、特に民主主義をどうするか、ということを考えている人は少ない。我々が切り開き、学者を育てるしかないと思う。
見通しですけど、これまで海外の例とか只野さんの意見書を出しましたが、普通は国は「国会の裁量権だから」「裁量の範囲」といえば、一回か二回で終わるところですけど、今度は国が我々の主張と只野さんの意見書に対して反論を出すことになっています。で、この次の争点は只野さんの証人採用をさせ、裁判官に聞かせるという、そこが大変重要なたたかいになると思います。
この次の6月9日では、この反論書でどういうものが出てくるのか、すでにこちらは証人申請はしておりますので、只野さんの証人採用について国がどういう意見を述べて、裁判所がどういう判断をするか、。もし採用されれば、その次は法廷で只野さんにも意見書を踏まえた意見を述べてもらう。これができれば大きな意味があると思う。憲法学者が法廷で立候補・被選挙権について堂々と意見を論述したことはないですからね。
今、福島(みずほ)さんのところを通じて調べてもらっているOECD加盟国35カ国の、全体の結果はちょっと時間がかかりそうで、それは場合によっては控訴審で出せればと思っています。これはどっちが勝とうと負けようと控訴しますからね。辻村さんも法廷に立ってもらえればありがたいと思っています。
一票の格差問題も、最初は全部返り討ちだったのですが、最近は変わって「違憲状態」ですとか、「違憲無効判決」も出てきています。
そういうことからも、一回の裁判で全部決着をつけるということはなくて、次から次へと裁判を起こしていく。没収されたのを返せという原告団はたくさんいるんです、私もやりたい私も・・。でも世論に訴える意味で、本裁判の原告の方は選管にも行って書類を用意して、万端整ったところで供託金が用意できなくて立候補ができなかった。その方がアピールする力が大きいと思ってやっていたんですけど、これは次に続く人はたくさんいらっしゃると思います。
メディアの取り上げ方はまだ、反応は非常に消極的です。冷たいし。メディアの意識そのものが、憲法学者ですらこういう状況ですから。私はそこを変えていくのは我々の運動だと思います。メディアの理解を変えていくことです。