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原発避難者と歩む@川越の会場から新幹線に飛び乗り、福島市教育会館で開催されている「住宅無償提供継続を求める4団体共同全国集会 in 福島」に参加、避難の協同センターとして連帯発言の機会を頂いた。
私が到着した時、郡山市から川崎市に自主避難している松本徳子さんが涙を抑えきれない状態で発言していた。松本さんは11月28日から福島県庁で内堀知事に面会を求め立ち続けた。しかし松本さんにとって辛く悲しい1週間だったと聞いた。福島県庁職員の固いガードに阻まれ、内堀知事は避難者と向き合う事をしなかった。通り抜ける県民の冷たい視線、面会したある議員の松本さんに浴びせた言葉、松本さんの発言「私たちの事が理解されていない」神奈川訴訟団長の村田弘さんが柱の裏で泣き続けている。このままでは避難者の皆さんが壊れてしまう。松本さんや村田さんは原発事故前は「ただの市民」多くの母子避難のお母さんが子どもを守るために顔もだす事もできないなかで、すべてを引き受けて戦いの先頭にたった。でもひどく疲れ壊れていく。松本さんは避難の協同センターの代表世話人も引き受けてくれた。村田さんも運営委員として参画頂いている。「避難の協同センター」の「協同」の意味、避難当事者だけに頑張らさせてはいけない。松本さんや村田さん、そしてあちこちで頑張っている皆さんに「少し休まさせてあげたい」会場から約4キロのデモ行進、無関心を装う沿道の人々、悲しかった。でも、福島に暮らしながら子どもを一生懸命守ろうとするお母さんがたくさんいる事も知っている。「原発事故被害者の救済」絶対あきらめない。
(集会アピール抜粋)
「しんさいでいっぱい死んだからつらいけど、ぼくは生きることにきめた。」この少年の言葉を聞きましたか、子供たちの寝顔を忍び足でパートに出る母親、眠った振りをして見送る子供たち。喉の腫れをこっそり撫でる娘。「ごめんね」と手を合わせる両親、「帰りたい」とつぶやいて亡くなった夫の遺骨を前に、呆然と日々を送るお年寄り、、、みんな必死に耐えているのです。何の落ち度もないのに、突然強いられた避難生活。5年9か月です。内堀知事、あなたの「決断」は、その生活をさえ、根底から覆すものなのです。

(瀬戸 大作さん FB)

12/4「住宅無償提供継続を求める4団体共同全国集会 in 福島」報告

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