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【子ども脱被ばく裁判】父親の怒り「原発事故で当たり前の生活奪われた」。母親の悔しさ「国も行政も住民守らなかった」~第8回口頭弁論で意見陳述

2016/12/13  民の声新聞

福島県内の子どもたちが安全な地域で教育を受ける権利の確認を求め、原発の爆発事故後、国や福島県などの無策によって無用な被曝を強いられたことへの損害賠償を求める「子ども脱被ばく裁判」の第8回口頭弁論が12日午後、福島県福島市の福島地裁203号法廷(金澤秀樹裁判長)で開かれた。2人の原告が意見陳述を行い、長野県に避難した父親と郡山市内に住む母親(出廷できず代読)が無用な被曝を強いられた悔しさや当たり前の生活を奪われた怒りを訴えた。次回期日は2017年2月15日14時半。


【「俺たちは原発難民だ」】
 イスに座らず直立不動のまま意見陳述した植木宏さん(46)の背中に、被曝リスクから必死にわが子を守っている父親の矜持が表れていた。
 須賀川市の自宅は庭で3μSv/hを超えた。郡山市内の実家は、雨どいの真下で15μSv/hを軽く上回った。すぐに、妻と当時、3歳と1歳の息子を都内の実家に避難させた。しかし、3月の下旬には福島に戻って来てしまう。「一週間も過ぎると居づらくなった」。
 福島での生活には、常に不安がつきまとった。食べさせて良いのか。外出させて大丈夫か。わが子の健康への影響が何より心配だった。長野県松本市が〝自主避難者〟を受け入れている事を知った。すぐに申し込んだ。
 住まいの下見に行ったついでに自然豊かな公園に立ち寄った。思い切り深呼吸した。思い切り背伸びをした。腹の底から大きな声を出した。そこで植木さんは、被曝リスクから身を守る事ばかり考えている生活がいかにピリピリしていたかを思い知らされる。3歳の長男が、振り返りざまにこう尋ねてきたのだ。
 「お花を触って良いの?マスクを外して良いの?」
 放射性物質の拡散が無ければ当たり前の事が、もはや当たり前で無くなっていたのだ。必死にわが子を守ろうとするあまり、時には怒鳴ってしまった事もあった。幼い子どもにどれだけ我慢を強いていたのかと考えると涙が止まらなかった。妻も泣いていた。泣きながら、2人で「思い切り遊んでおいで」と送り出した。「本当に申し訳無かった。そして悔しくて悔しくてたまらなかった。安心して暮らせる事がいかに幸せだったかを実感した瞬間でした」。
 松本市での〝新居〟は古く、改修工事に300万円を要した。東電に賠償を拒まれたためローンを組んで支払った。須賀川市では幼稚園に勤めていたが、ブドウ農家に転身。朝4時から夜の10時まで農園で働いた。それでも生活は苦しく、全財産が財布の中の2万円だけという事も。夫婦で離婚について話し合ったのも一度や二度では無い。「国が責任を持って避難させてくれていたら、こんなに苦労する事も無かった」。全ては被曝リスクから家族を守るため。誰も原発事故の責任を取らず、勝手に逃げた〝自主避難者〟だと片付けられてしまう事だけは絶対に許せない。「あの混乱の中では、自分で家族を守るしか無かった」。
 A4判2枚では語り尽くせるはずもない5年9カ月。意見陳述の最後に、植木さんは被告席に向かってこう言った。
 「これはほんの一部です。言いたい事の1/10も無い。1人の父親として、子どもたちを守った気持ちを理解して欲しい」
<写真>
意見陳述をした植木さん(右)と代読した佐藤さん。親として必死にわが子を守った想いと、国や行政の情報提供不足への怒りが法廷に響いた=福島市民会館

【「誰も守ってくれなかった」】
 「毎日が地獄でした」
 被曝の知識など無かった。福島第一原発から60kmも離れた郡山は汚染とは無縁だと考えていた。自治体も危険性や放射線防護を積極的に呼びかけない。学習塾を経営していたが、保護者から「勉強が遅れるので再開して欲しい」と求められた。その頃、自宅の庭は高い場所で10μSv/h超。雨どい直下は20μSv/hを超えても数値の上昇が止まらず、怖くなって測定を中断した。薪ストーブの灰は1万6000Bq/kgに達していた。「もし、国や自治体が汚染の危険性を伝えてくれていたら家族全員で移住していた。家族や塾の子どもたちに無用な被曝をさせずに済んだのに、と考えるととても悔しいです」。
 町内会が中心となって「除染活動」が始まった。〝任意参加〟とは名ばかりで、実際には断る事など出来ない。花粉用のマスクを着用し、レインコートを着て参加した。知識の無い住民による危険作業。「除染」で生じた汚染物は公園に埋められた。「絶望しました。もはや誰も助けてくれない。私たちは棄民だと思いました」と振り返る。息子に無用な被曝をさせまいと、食べ物を県外から取り寄せたり洗濯物を室内に干したりした。せめて夏休みだけでも、と保養プログラムに参加させた。必死だった。母としてわが子を守る取り組みはしかし、思わぬ言葉となって帰って来た。
 「放射能、放射能って、僕のためにママがしている事は全てマイナスなんだよ!」
 保養プログラムに参加した事で当然、部活動を休ませた。それを嫌った顧問は、授業中も息子を無視するようになったという。三者面談の際、担任から部活動に参加していない事を知らされ、初めて息子を取り巻く状況を知った。「がく然としました。息子を守るための行動で先生から反感を買うなど考えてもいなかった」。教師は放射能は安全だ、と繰り返した。家庭内では母と息子の〝対立〟が絶えなかったという。ただ守りたいだけだった。母親として当然の願いだった。
 「国や福島県、郡山市、東京電力を加害者として逮捕して欲しいくらいです。自分の子どもが傷つけられたのです。私たちは被曝させられたのです。国民を守る行動をとらなかった罪を認め、私たち福島県民に謝罪してください」
 悲痛な意見陳述を、自身も原告の1人である佐藤美香さん(43)が代読した。同じ母親として「私の気持ちも含めて読ませていただきました」と頭を下げた。2人の息子を守ろうと県外に避難し、心無い言葉を浴びせられた。この日も「ママ頑張って」と送り出してくれた息子を「ママがあなたを守るからね」と抱き締めたという。「うまく読めるか不安だった」と語るが、立派な代読だった。
 「福島では当たり前の事が言えなくなっている。放射能の話をすると白い目で見られてしまう。声に出せない声を拾い上げる1人になりたい」と佐藤さん。傍聴席には、すすり泣く声が広がっていた。
<写真>
福島地裁前では、開廷前に支援者らがアピール行動を展開した。来春で原発の爆発から6年になるが、原告たちの闘いは続く

【「数値の意味も必要情報だった」】
 この日の口頭弁論では、弁護団(井戸謙一団長)は3通の準備書面を提出。国や行政が適切な情報提供を怠った事が無用な被曝を招いた事、子どもたちを集団避難させて安全な場所で教育を受けさせるべきだった事、空間線量(シーベルト)ではなく土壌汚染(ベクレル)で危険性をとらえるべきである事を改めて主張。古川健三弁護士は「安全だという宣伝があっただけだった」、「汚染が分かっていれば給水所に並ばずに逃げていた」、「空間線量の数値の意味が分からなかった」など、情報不足で無用な被曝を強いられた原告たちの言葉を紹介しながら国や行政の怠慢を批判した。井戸謙一弁護士は「空間線量だけを知らせても行動の指標にはならなかった。数値の持つ意味情報も一緒に提供されるべきだった」と訴える。被告である県内自治体との実質的な議論をするため、「求釈明」と呼ばれる具体的な答弁を求めるための質問も複数提出した。
 被告側は「子どもたちが安全な環境で教育を受ける権利の根拠が不明確」と反論しているが、それに対して井戸弁護士らは「学校保健安全法ではホルムアルデヒドやトルエンなど有害物質ごとに詳細な基準値が定められ、年2回、教室などで測定する事になっている。子どもたちを安全な環境で教育を受けさせる義務がある」と反論した。「学校保健安全法には放射性物質は含まれていない。法律の怠慢であり、きちんと規制するべきだ」(井戸弁護士)。
 2011年4月5日から7日に福島県内の全ての学校で実施された測定で、山木屋中学校(川俣町)で6.6μSv/h、渡利中学校(福島市)では5.4μSv/hと軒並み高濃度汚染が確認されていたにもかかわらず授業は再開され、同年4月19日の文科省通知が年20mSv以下での学校教育を追認した。一定の制限はあったものの、子どもたちは高い被曝リスクの中で登校した。弁護団は情報公開請求などを利用して情報を集め、各自治体教育委員会の授業再開決定に当時、文科省や福島県がどのように関与したかについても明らかにしていくという。
 今後、低線量被曝の危険性を立証するための専門家による証人尋問も予定されている。次回期日は2017年2月15日14時半。

【子ども脱被ばく裁判】第8回口頭弁論で意見陳述

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