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ひだんれん事務局 大河原さきさんより

送られてきた、帽子、マフラー、ベスト、ひざ掛け、約200製品を郡山にある川内村の仮設住宅に運ぶ。友人が新宿区の環境学習情報センターで、ニットカフェを主宰していて、被災した人たちに手編みのニット製品を贈る「あったかを贈ろうプロジェクト」をやっているが、福島にも贈りたいと5箱に分けて送ってくれた。
 川内村は村長による2012年1月の帰還宣言により、避難指示が解除になって同年8月には精神的賠償が打ち切られ、2013年12月に米や毛布がなくて年が越せないと、郡山市にある仮設住宅の自治会長さんがネット上にSOSを発信したのを読み、支援物資を持って行ったのがきっかけで時々訪ねるようになった。
 仮設住宅や借り上げ住宅に住んでいる人たちは、避難指示が解除になると、自治体から「帰れるのに帰らずに勝手に避難している人たち」というレッテルを張られ、強制避難だったのに解除後は自主避難者になってしまった。そして福島県が今年の3月には住宅の無償提供を打ち切ることにしているが、その対象になってしまった。
現在、川内村民で仮設住宅に住んでいる人は150人ほどで、その多くは高齢者や病気があって郡山の病院を利用している人たちだ。
仮設住宅は県のものなので去年の9月に、県が住宅提供の打ち切りの説明に来た。今年の1月6日には川内村の職員が「仮設住宅退去手続き及び備え付け備品の譲与について」という書類を配り、仮設に備え付けてあった家電製品などが欲しい人には譲渡するというが、条件として退去手続きに記入しなければならない。この用紙だけ目立つ黄色になっているのがあざとい。おそらく9割の人は、ここから退去せねばと思わされて、帰還するか民間のアパートなどに移るかもしれないが、1割は医療が必要な高齢者だからどこにも行きようがない。
帰れと言っても村の医療機関は週に1~2回しか診療しないし、送迎車も来ない。人工透析を受けている人が3人いるが、一番近くの小野新町総合病院では27人待ち、川内村社協のデイサービスは30人ですでに満杯、老人ホームは57世帯待ち、これでは帰れない。この状況で退去を迫れば、どこにも行きようがない人はどうすればいいのか。県が打ち切りを強行すれば、困窮する人は川内村だけではない。

大河原さきさんのFB

写真のコメント:帽子しか写せなかったが、ひと目ひと目ていねいにかぎ針や棒針で編んであります。メッセージも全部の袋に入ってました。

川内村に届いた手編みの「あったかを贈ろうプロジェクト」

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